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2010年01月12日

悼む人

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仕事を1時間ほど早めに切り上げて特急に飛び乗った。向かった先は小さな海辺の町の斎場。

高校時代の友人が鬼籍に入ってしまったからだ。癌だったらしい。彼とは大の親友という間柄ではなかった。

しかし、姓のあいうえお順が近かったことから何かにつけて一緒に行動をしていた記憶がある。屈託のない笑顔が魅力的だった。

彼は現役の高校教師だったので大勢の教え子たちが弔問に訪れていた。混雑する受付をすり抜け焼香をすませると御清めの場には懐かしい顔がいくつもあった。

確かシステムの2000年対応でこれから忙しくなるという話題を前回のクラス会で話した記憶があるので十数年ぶりの再会となる。

私たちのクラスは学年の中で一番連携の悪いクラスのようだ。クラス会は幹事不在でなかなか開催されない。

ひととおり名刺交換をして近況を聞いてみると順風満帆で大河の流れのような生き方をしているヤツは一人もいない。大なり小なり波乱万丈の人生を生きているといっていい。

このような場が与えられたのも彼の死のお陰かもしれない。「たまにはみんなで集まろうぜい!」草場の陰で彼が笑っているような気がする。

ふと、以前読んだ「悼む人」を思い出した。人の死は平等であるべきとの思いから、故人の生前の存在を心に刻み「悼む」という行為を続ける青年を描いた小説だ。

作者は主人公の青年を通して人間の「悼まれたい」という欲求、生前の自分の存在が虫けらなどの死とは一緒ではなく特別なものとして認められたいという欲求を表現している。

人間の死というのは2度ある。1度目の死は物理的な肉体の死。2度目の死は残された人々の心の中から故人の記憶が消え去るとき。この2度目の死がほんとうの死なのだ。

肉体の死は免れない。しかし、いつまでも覚えていてほしいという願望は果てしなく続くのだと思う。今日、私はしっかり彼のことを胸に刻み込み「悼む人」になっていた。
posted by orataki at 23:55| Comment(2) | TrackBack(0) | 生き方・考え方 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
お気持御察しします。
悼むということ、大切な役目に思います。
Posted by 佐川 at 2010年01月13日 06:46
** 佐川さん
コメントありがとうございます。歳のせいでしょうか、悼む気持ちが強くなってきたような気がします。悼まれる存在になりたいという気持ちの裏返しかもかもしれません。
Posted by orataki at 2010年01月14日 06:57
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