10/11、清水市代女流王将がコンピューター”あから2010”に負けたというニュース報道がありました。女流とはいえ、コンピュータがプロ棋士を倒した記念すべき日となりました。”あから”とは漢字で”阿伽羅”と書き、仏教では10の224乗をあらわす数だそうです。それほどの手数を解析できるコンピューターということで命名されたのでしょう。
あから2010は百数十台のコンピューターをクラスタ接続し、4つのプログラムの合議制で最善手が指されるという気合の入ったマシンです。しかも4つのプログラムは”ボナンザ”、”激指”、”GPS将棋”、”YSS”と最強のソフト連合軍です。これではひとたまりもない。あから2010の美濃囲いはまったく無傷で王手もかからない状況。完敗の清水さんが少しかわいそうになってきます。
さて、この記事からコンピューターがプロ棋士を凌駕する日も近いのではと思われる方も多いのではないでしょうか。私は、まだ先のような気がします。コンピュータに過去の実践譜を与えるのは人間ですし、その実践譜を残したのも人間です。経営者の器以上の企業が育たないのと同様に、データとして最強名人の棋譜以上のものをコンピュータは紡ぎえないと思うからです。
関係者のコメントのなかにはコンピュータが人間的な手を指すようになってきたというものがありますがあくまで”人間的”の域を出るものではありません。終盤の指し回しは絶対にコンピューターにかないません。人間は構想を展開する序盤にこそ、その優位性があります。そこにロマンがあり、神の領域があります。私はそう信じています。