20年前の御巣鷹の悲劇がドラマ化(8・12日航機墜落・20年目の誓い〜天国にいるわが子へ)される。早いものである。20年前の8/12に日航機は墜落した。その頃の私は結婚を翌年に控え、会社の同僚と沖縄旅行に行くことになってた。(あ、男性ですよ!)
結婚したら自由な時間が取れなくなることがあるから、今のうちに独身最後の旅行を楽しもうという算段であった。明日に出発を控えウキウキしながら旅行支度をしていたときにニュースが飛び込んできた。
「日航機墜落!!」
唖然とした。私はそのJALを利用して明日、沖縄へ行こうとしている。同僚に電話してみた。
「おい、K君。どうする?ヤバイよ。というよりコワイよ。行く? 俺、来年結婚するから、今死んだらとっても後悔するよなぁ」
「oratakiさん、だいじょーぶッスよ。そんな簡単に何度も落ちませんから。それに、死んだら後悔なんかできないじゃないですかぁ。青い海が待ってますよーぉ。ダイビング、ダイビング。」
「そーだよなぁ。落ちた直後だと入念に整備するだろうし、逆に安全かもしれないしなぁ。キャンセル料はしっかりとられそうだし。メガネもフィンも買ってしまったし、もったいないよなぁ。ヤッパ行くか」
ということでかなりセコイ理由で沖縄旅行を決行することにした。那覇空港に無事降り立ったときはホっと胸をなでおろしたが、空はどんより曇り空。天気予報では台風が接近しているとのことだった。渡嘉敷島というところに渡ったのだが、案の定、台風の直撃を受けることになってしまった。
離島で台風に会うと最悪だ。レジャー施設は皆無に等しく、海で泳げなければ何もすることはない。墜落のニュース報道テレビを見ながら毎日鬱々としていた。そんなわけで、ニュースについてはかなり通になっていた。かなり凄惨な状況のようだ。後日、御巣鷹山に程近い民宿に泊まる機会を得たが地元自衛団として犠牲者探索に参加した宿のオヤジはもっと凄惨な状況を説明した。風化させず、語り継がなければいけないことが8月にはいっぱいある。
猛暑の中、ボンヤリとした頭で「死は常に隣りあわせなのだ」というようなことを考えていた。
日航機墜落事故。私もよく覚えてます。
当時、私は浪人生でした。下宿して予備校に通ってました。
折りしもその日は「流星群が来る日」だったんですね。
流星みたさに下宿の屋上に上がり、音がないもの寂しいのでラジオを持参してました。
で、ラジオを付けるとずぅ〜っと「○○ ××さん、△△ □□さん、・・・」と人の名前ばかり流れてたんですね。
『何だろう、これは』と思っていたら、アナウンサーが墜落した日航機の乗客名簿を読み上げていたんです。
背筋が凍ったのを覚えています。
コメントありがとうございます。「流星群が来る日」というのは記憶にありませんでしたねぇ。関東でも見えたんでしょうか?そのときは沖縄のことで頭がいっぱいだったようです。
当時私は京都でしたので、関東で見えたかどうかは分かりませんが・・・。
新聞に出てたということは、天気が良ければ関東でも見えたのではないでしょうか。
京都は少しだけ見えました。が、意識は全てラジオにいってました。
コメントありがとうございます。またTBもいただいたようで感謝です。みなさん、さまざまな場所で悲報に接したのですね。そして20年を感じさせない負のインパクトがあったようです。