
中国の市場でモノを買うとき値切り交渉します。定価はついていません。この形態は気の小さい私にとっては実に不便で悩ましいものです。日本でもオープン価格というのはあるのですが実勢価格が参考値として示されるので相場はわかります。
これが外国に行くと全く相場がわかりません。日本で買うならいくらという相対的な比較しかできません。原価を考えるならまだまだ中国は日本よりもかなり低いはずですから、相当ふっかけてきても日本より安い!と感じるでしょう。それで満足して買っていく日本人観光客を彼らはニンマリ舌を出して笑っているかもしれません。上質なカモネギ客として。
帰国前日に妻とシルクマーケットへ行き、みやげ物を漁ることにしました。私は背後でニンマリされるのが嫌で一生懸命値切ろうとするのですが連れ合いは一向にその気がありません。多少の値引きで満足して購入しようとします。
冗談じゃないと夫婦喧嘩になるわけですが(口論する相手が違いますね)後になって考えてみるとそれはそれでも良いのかもしれないと思ってきました。要は満足感のレベルが違うだけで、最終的に満足すればいいわけですから。連れ合いは口角泡を飛ばして長々と駆け引きをすることに満足感を得られないのでしょう。
なんでこのような寛大な考え方をするようになったかというと、あるIT関連の本でIT業界のことを考えさせられたからです。システム構築の値段というのは売り切りのパッケージソフトと違って定価がありません。コモディティな消費に慣れている人たちにとってシステムの値段というのはベラボーに高いと感じられるはずです。
「なんでこのシステムが1億円もかかるのか」と問うユーザーもいるでしょう。実は1億円でも安いかもしれません。相場がわからないから高い安いがわからない。相場が3億円だとわかればスゴック儲かったなとユーザーはご満悦でしょう。逆もしかり。
相場がわからないからユーザーは「工数明細を出せ!」ということになります。これが悪しき人月工数商売から脱却できない理由のひとつになっています。経営者がシステムの価値を明細から判断するのではなく「期待と効果」から判断できるようになって欲しいなと思います。「顧客満足30%アップを1億円で買う」といったように。
またわれわれも判断の根拠が別のところにあることを見えるように仕掛けていかなければなりません。そういう方向性がIT業界を救うのではないかと思います。


